リヴァプールでプレミア&CL制覇、350試合出場も目前 アンディ・ロバートソン「あの挫折が今も原動力」
リヴァプール不動の左サイドバックとして、いくつものタイトル獲得に貢献してきたアンディ・ロバートソン。自らを“アンダードッグ”と呼ぶその言葉の裏には、少年時代に味わった大きな挫折があった。逆境をいかにして乗り越え、世界最高の舞台にまでたどり着いたのか。インタビューで語る本人の素直な言葉から、サッカー選手としての原点と闘志の源に迫る。
オランダの名門・アヤックスで頭角を現し、2023年夏に22歳の若さでアーセナルの一員となったユリエン・ティンバー。オランダ代表にも名を連ねる実力者はしかし、憧れのガナーズ移籍を果たした直後に前十字靭帯断裂という大怪我を負った。
その失望を乗り越え、2024-25シーズンはプレミアリーグで30試合に出場。リーグ最少失点を誇った守備陣の一人として活躍した。逆境を乗り越え、復活を果たした背景には何があったのか。ティンバー自身の言葉から、原点やこれまでの経験、選手としての哲学を紐解いていく。
──オランダのユトレヒトで生まれたそうですね。どんな子ども時代を過ごしましたか?
ティンバー:サッカーばかりしていましたね。兄弟たちと、いつも外で競い合っていました。純粋にゲームを楽しんでいたんです。
そして、母はいつでも僕たちが必要なこと、やりたいことをすべてやらせてくれました。本当に感謝しています。
──お母さんの話が出ましたが、ご両親はオランダ領のキュラソー出身だそうですね。ご自身のルーツについて、大切に思うことはありますか?
ティンバー:母がどこから来たのか、彼女がどんな経験をしてきたのかを知るのは重要だと思っています。それは、僕自身の子ども時代や、母が僕たちを育てる中で経験してきたことにもつながるからです。彼女は5人の子どもを育てたので、決して楽ではなかったはずです。そのことを知り、覚えておくことが大切なんです。
──5人の子ども、しかも全員が男の子だったとか。お母さんはさぞかし大変だったでしょうね。
ティンバー:僕たちはそんなに手のかかる子ではなかったと思いますけどね(笑)。でも、先ほど言ったように、母にとって簡単な道のりではなかったはずです。それでも、僕たちはいい子だったと思いますよ(笑)。
──兄弟の中には、双子のクインテンがいますね。フェイエノールトのキャプテンを務める、彼もまた素晴らしいサッカー選手です。彼との間にライバル意識はありましたか?
ティンバー:いいえ、ライバル意識なんてまったくありませんでした。どのチームにいても、僕たちはポジションも違います。周りは比べたがりますが、比較することに意味はないと思っています。
僕にとっては、彼と一緒にプレーするのはいつも楽しかったですし、アヤックス時代に対戦した時でさえ、同じくらい楽しかった。正直、彼と共に歩んでこられたことを幸せに感じています。
──キャリアのスタートは二人ともフェイエノールトのユースアカデミーでした。そこから、あなたは最大のライバルであるアヤックスのアカデミーへ移籍しましたね。当時、これは大きな決断だったのでは?
ティンバー:とても大きな移籍でした。当時は「最大のライバルなのだから、この移籍はありえない」と思っていました。でも、兄が僕たちにとって良いステップだと気づかせてくれたんです。
フェイエノールトでは素晴らしい数年間を過ごし、友人もでき、選手として大きく成長できました。しかし、次のステップに進むためには、アヤックスの方が良い選択だと考えたのです。結果的に、正しい選択をしたと思っています。
──ピッチ内外において、宗教はあなたにとってどれほど重要なのでしょうか?
ティンバー:僕のすべてと言ってもいいかもしれません。人生をどう生きたいかと考えた時、僕は聖書に目を向けます。だからこそ、SNSでも共有するんです。それが僕の生きる道だから。僕にとって一番大切なのは信仰、二番目が家族、そして三番目がサッカーです。一日の始まりも終わりも、その考えに基づいています。
──その信仰心は、困難な時期を乗り越える上でも助けになったことでしょう。後ほど詳しく伺いますが、子どもの頃から熱心なアーセナルファンだったそうですね。
ティンバー:ええ。きっかけは一番上の兄がアーセナルファンだったことですね。母もそうでした。だから、子どもの頃は家でいつもアーセナルの試合を見ていましたよ。
そのうちに、僕も自然とファンになっていました。選手たち、プレースタイル、そしてクラブそのものが好きで、特別な愛情のようなものが芽生えたんです。本当に小さい頃からですね。
──お気に入りの選手は?
ティンバー:正直に言うと、僕の一番好きな選手はいつもジャック・ウィルシャーでした。彼のプレーを見るのが大好きで、断トツですよ。子どもの頃は、お気に入りのクラブに行きたいと夢見ますよね。そんな中でアーセナルから声がかかった。これはもう、特別でした。
──イングランドでプレーすることは、常に目標でしたか?
ティンバー:はい、ずっとです。プレミアリーグは、常に最もタフで、最も大きなコンペティションだと思っていました。ここでプレーすることは、間違いなくずっと夢でしたね。
──アヤックスでのプロキャリアについても少し振り返らせてください。エリック・テン・ハフ監督のもとで過ごした約2年半の間に、デビュー戦の直後にコロナ禍でシーズンが打ち切りになるという経験をしましたね。
ティンバー:ええ、あの試合の直後にシーズンが終了しました。少しクレイジーでしたね。あの試合で先発出場できたこと自体、驚きでした。そしてシーズンが終わって、翌シーズンはベンチスタートだったので、少し不思議な感じでした。
──そのシーズン、アヤックスは首位でしたがタイトルは獲得できませんでした。しかし、そのすぐ後にリーグとカップの二冠を達成し、個人としてもオランダ年間若手最優秀選手賞を受賞しました。歴代の受賞者にはビッグネームが並びますが、大きな名誉だったのでは?
ティンバー:正直、当時の僕たちは最高のチームでした。メンバーを見れば、「え、これがアヤックスだったの?」と驚くはずです。それくらい良かった。2、3年、いやその前の年も含めれば4年間、僕たちはリーグを支配していました。テン・ハフ監督のもとで多くのことを学び、たくさんの自信を与えてもらいました。
彼は僕をスター選手にしてくれ、常にベストであるようにと背中を押し続けてくれた。僕の才能を本当に見抜いてくれたので、彼にはとても感謝しています。彼の指導のもとで大きく成長できたと思っています。
──彼はあなたのことを「冷酷な兵士」と評したそうですが。
ティンバー:彼がそう言うなら、そうなのでしょう(笑)。彼からも学びましたが、そこにいたアシスタントコーチからも多くを学びました。若い頃にそうした経験ができたのは、本当に重要だったと思います。振り返ってみても、最高の時間でした。
──その成功の日々が終わりを告げ、テン・ハフ監督が去ったあと、あなた自身も次のステップを考えたと思います。若い頃から在籍したクラブを離れるのは、難しい決断でしたか?
ティンバー:移籍すべき時が来たと感じていました。実はその1年前、エリックが去った時にも移籍の選択肢はありましたが、まだそのタイミングではないと感じたんです。「もう1年残る必要がある」と。
そしてその1年後、「今こそ去る時だ」と確信しました。そこに、アーセナルが来てくれた。移籍するのに完璧なタイミングだったと思います。
──では、アーセナルがあなたに関心を示していると聞いた時、正直に言って、イエスと答えるまでにどれくらいかかりましたか? クラブのファンだったことも考えると。
ティンバー:ミケル(・アルテタ監督)がこの5年間でクラブをどう変えてきたかを見ても、彼らがここで何かを築き上げているのは明らかでした。ですから、彼らが来てくれた瞬間、決断はかなり早かったですね。すぐにイエスと伝えたかは覚えていませんが、心の奥底では「OK、ここが僕のクラブだ」とわかっていました。彼らは素晴らしいサッカーをしていますし、僕もその一員としてプレーしたかったのです。
──外から見ていても、明確なプロジェクトが進行しているのが分かりましたか?
ティンバー:はい、間違いなく。最初の話し合いの段階でも、「ここはレベルが違う。ビッグクラブだ」と感じました。あの夏、クラブはデクラン(・ライス)やカイ(・ハヴァーツ)、ダビド(・ラヤ)を獲得しました。大きな動きを見せていて、僕もその一員にどうしてもなりたかった。
今一緒にプレーしているディフェンダーたちからも多くを学んでいますし、彼らが僕をより良い選手にしてくれています。あの時も、そして今も、ここが完璧なクラブだと感じています。
──そして、長年の夢だったイングランドでのプレーが実現します。プレミアリーグ開幕戦のノッティンガム・フォレスト戦、50分までプレーしたところで、想像しうる限り最悪の事態が…膝の前十字靭帯(ACL)断裂という大怪我を負ってしまいました。
ティンバー:ええ、クレイジーな一日でした。手術が必要だと告げられるまで、事の重大さを理解していませんでした。「じゃあ、僕のシーズンは終わりってことですか?」と聞いたら、「まあ、そんなところだ」と。その時初めて、ここに来たのに1年間プレーできないんだと実感しました。
本当に信じられない気持ちでした。でも、そんなクレイジーな日々の中でも、アーセナルの一員であるという幸福感をずっと感じていました。それが僕を支えてくれたんです。その幸福感は、怪我をしたことへのどんな失望感よりもはるかに強かった。
それが、あのシーズンを乗り越える大きな力になりました。ここのフィジオ(理学療法士)たちとのリハビリも素晴らしかったです。彼らは本当に助けてくれました。強くたくましくなって戻ってこられたと思っています。
──そうした時も、やはり信仰が助けになりましたか?
ティンバー:はい。先ほども言ったように、生き方そのものですから。物事をポジティブに、良い方向に捉える助けになりました。
それに、周りの人々の存在も大きかったです。彼らもポジティブでいてくれた。この期間を通して、自分の周りには素晴らしい人々がいるんだと改めて気づかされました。彼らがいなければ、今の復帰することはできなかったでしょう。クラブの人々、そして家の周りの人々、信仰について語り合うこと。それが大きな助けになりました。
──新しい国に来て8ヶ月も離脱していたのに、本当にポジティブですね。
ティンバー:でも、すぐにここがホームだと感じられたんです。それもここの人々のおかげです。初めて来た日、彼らの歓迎の仕方は素晴らしかった。幸い、加入2日目から10日間のトレーニングキャンプに参加できたので、クラブの皆とすぐに知り合えたことも助けになりました。
最初の数試合の後、ファンも僕にたくさんの愛情を示してくれました。彼らは気づいていないかもしれませんが、それが本当に力になったんです。
──アルテタ監督もインタビューで、あなたが離脱していた8ヶ月間の過ごし方に感銘を受けたと語っていました。フィジオやチームメイトと親交を深めるだけでなく、アーセナルの戦術や相手チームの分析までしていたそうですね。
ティンバー:ええ。でもそれは、チームを見て「ワオ、彼らはなんてすごいんだ」と思ったからです。レベルが本当に高い。今もそうですが、「このチームに加わるには、自分も同じレベルにいなければならない」と感じました。それに、純粋にサッカーが好きで、ピッチで何が起きているのかを見るのが好きなんです。だから、ごく自然なことでした。
──そして8ヶ月後、同じシーズンの最終節エバートン戦で復帰を果たしました。個人的には嬉しい瞬間だったと思いますが、チームとしてはリーグ優勝を逃し、ほろ苦い日になりましたね。
ティンバー:そうですね。個人的には、監督が30分間のプレー時間を与えてくれたことが本当に嬉しかったです。夏を迎えるにあたって、あの時間が必要でした。もちろん、リーグを失った日ですから、タフな一日でもありました。「ほろ苦い」という言葉がぴったりですね。
──今シーズンのアーセナルをどう総括しますか?
ティンバー:CLの準決勝に進出できたことは、このチームにふさわしい結果だと思います。同時に、タフなシーズンでもありました。多くの怪我人が出ましたが、それは時折見せる僕たちのプレーレベルの言い訳にはなりません。「ここは僕たちのレベルじゃない、もっとやれるはずだ」という相手に、多くの勝ち点を失ってしまいましたからね。
──個人的な今シーズンのハイライトを一つ挙げるとすれば何でしょう? レアル・マドリー戦での勝利、古巣のライバルであるPSV戦でのゴールなど、いくつか候補はあると思いますが。
ティンバー:難しい質問ですね。得点するのは楽しいです。アーセナルファンとして、エミレーツで、しかもCLでゴールを決めるのは本当に最高の気分です。
観客の叫び声を聞いて、スタジアムのエネルギーを感じた瞬間、「そうだ、僕はまたサッカー選手になれたんだ」と思えるんです。長い間離脱していた後だったので。シーズン序盤、たとえばサリバがボールを奪って観客が熱狂したような、些細な瞬間に「ワオ、戻ってきたんだ。楽しいな」と感じました。個人的には、そういった瞬間が今シーズン、再びプレーできる喜びを最も感じた時でしたね。
──アーセナルの最終ラインは、若さと経験が見事に融合していますね。
ティンバー:そう思います。反対サイドでマイルズ(・ルイス=スケリー)がやっていることも信じられないくらい素晴らしい。「あの子は」と言いたくなりますが、もう子どもじゃないですね(笑)。彼はとても成熟していて、特別です。最も大きな舞台で、あれだけのプレーをやってのける。簡単なことではないと知っているからこそ、彼のすごさがわかります。ピッチの外ではとてもナイスで親切なのに、ピッチに入るとライオンのような一面が出てくる。そこが本当に好きです。
バックライン全体を見ても、レベルはとてつもなく高いと思います。僕たちはお互いを高め合っています。その一員でいられることを幸運に感じています。
──ネーションズリーグで弟のクインテンとオランダ代表のルームメイトになったことも、ハイライトの一つではないでしょうか。ティンバー家にとって特別なことだったでしょうね。
ティンバー:ええ、あれがこのシーズンで最も特別な瞬間だったかもしれません。国を代表して、最高のレベルで一緒にプレーする。国中から25人しか選ばれない代表に、双子で選ばれるなんて、本当に特別なことです。家族にとっても、あの日は格別だったと思います。これから代表チームで一緒にプレーする試合が、もっと増えることを願っています。
──アーセナルにはベルカンプ、オーフェルマルス、ファン・ペルシといったオランダのレジェンドが在籍してきた歴史があります。その系譜に連なることにプレッシャーは感じますか?
ティンバー:プレッシャーは感じません。彼らがここで築き上げたレガシーは素晴らしいものですし、僕もそうなれたらいいなと思っています。
──プレミアリーグには現在、多くのオランダ人ディフェンダーがいますね。ファン・ダイク、アケ、デ・リフト、ファン・デ・フェンなど。オランダ人DFとイングランドのサッカースタイルは、相性が良いのでしょうか?
ティンバー:どうでしょうね。ただ、今のオランダ代表には良いディフェンダーがたくさんいて、イングランドは最高のコンペティションの一つ。だからみんな、ここにいるのでしょう。アーセナルと同じように、オランダ代表の最終ラインも素晴らしいですし、その一員でいられるのは幸運ですよ。
──最後に、2025-26シーズンについてお聞きします。すでに築き上げた土台を考えると、アーセナルはどこまで行けるでしょうか?
ティンバー:最終的には、クラブとして何かを築き上げ、タイトルを勝ち取りたいです。僕たちにはそれを成し遂げるための強さがあります。何度も惜しいところまで来ました。どんなシーズンになるかワクワクしていますよ。
リヴァプール不動の左サイドバックとして、いくつものタイトル獲得に貢献してきたアンディ・ロバートソン。自らを“アンダードッグ”と呼ぶその言葉の裏には、少年時代に味わった大きな挫折があった。逆境をいかにして乗り越え、世界最高の舞台にまでたどり着いたのか。インタビューで語る本人の素直な言葉から、サッカー選手としての原点と闘志の源に迫る。
「サッカーのことは、プレーで語る」。その信念を胸に、アーセナルをはじめとした世界のトップクラブで戦い続けてきた、ウェールズ代表のアーロン・ラムジー。17歳の少年が抱いた夢の軌跡と、今なお彼を突き動かす情熱の源とは。これまでの偉大なキャリアとその原点、サッカー選手としての現在地を、本人の言葉とともに紐解いていく。
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今夏、日本代表の高井幸大が移籍したプレミアリーグのトッテナム・ホットスパー。同チームで主将としてチームを牽引するのが、韓国代表のソン・フンミンだ。文字通り圧巻の成績を収めてきたソンだが、すべてが順風満帆だったわけではない。移籍してきた当初は「サッカーを楽しいと感じられない」時期を過ごしたという。栄光の裏にあった苦悩と葛藤。韓国を代表するもう一人の英雄パク・チソンが聞き手となり、ソン・フンミンの軌跡を紐解く。
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